《譜さらい:「星・島」について、あるいは読解のオルタナティヴ》回想
いうまでもなく、
武満の青春時代は、 惨たらしい戦争と死の危険が常に付いてまわっていた。 かくのごとくして、 混沌の渦中にあった日本から西洋音楽を激しく渇求し、 翻って日本文化の本質を相対化させた往来のプロセスから、 音楽文化の差異・ 関係を直交に結いあわせた紐のように協同と対峙とが干渉しあう、 肥沃な大地を培えた。
楽譜に留まらずその著書からも、音が聴こえるような、 音を誘い出すような「沸騰する交渉」に、 われわれは応じねばならない。 それが音となる前に自身で刻むおこないは、 個から発ちすなわち自然に連なる存在価値に連接する魔術なのである。 譜さらいの拡張は、その方法のひとつにすぎない。
音と向き合うに際して、 ひとりでにオーケストラを拵えるにはいささか困難ではあるが、 自己のフィルターをとおして変換された印象を内にたくわえ〈音〉 に連なることに絶対の必然性は存在しない。 その意味で音楽の抽象性は、ほかに換えがたい唯一の、 具体性を見据える自発的なカンヴァスなのだ。
巣立ち行く若人にささげた《星・島》は、 武満の亡きあとにはバトンとなり、もっとも、 わたしの世代にとってはかれに最接近できる作品だとおもいたい。 星は夜に覆われ、島は海に囲われている。そこに──周辺に──、 水と時と夢は、循環を永遠にして世界の縮図を示唆する。