蜂の巣駆除の魔術
ぼくが蜂さんと蜂さんのお家を破壊することに躊躇している間にも、六角形の部屋は次々と成長し、入居者を受け入れ続ける。そこにはあたらしい命が宿されているのかもしれない。
このアパートの家主は女王様。しもべたちは彼女のためにアパートを増築し、食糧を運搬し、共同生活をなしている。蜂によっては家族をもつ者もいて、生物学的に一種類の蜂でも、若い蜂から老いた蜂、働き盛りの蜂から籠り気味の蜂まで、実にさまざまな蜂がテリトリーを形成していた。彼らの作る六角形は必然的なかたちであって、意図や認識はそこにはない。ぼくは彼らに自分のものさしを当てはめることはできるけれど、蜂のものさしたるを確かめることはできない。カラスが胡桃の硬さをはじめから知っていたように、あるいは人間がビルを建設する遺伝子をはじめから持ち合わせていないように。
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帰途の総武線は錦糸町を出て速度を速める、蜂の巣は少しずつ大きくなってゆく、次第に車窓から日が翳ってゆくのを確認する、蜂の巣は休息の時間の接近を知らされる、市川あたりから疲れた人が電車を降りてゆく、外出していた蜂たちは無意識のうちに巣に戻る、津田沼で乗り換える、あの蜂の行方は誰も知らない。
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ぼくは駆除せねばならない。鉄球で一アパート(入居者は退去させない)を粉々に破壊せねばならない。彼らが息をできないように薬物を携えねばならない。彼らが若くとも老いていようとも、働き盛りでも籠り気味でも、ぼくにはまったく関係ない。
きっとその夜、ぼくは夢をみるのだろう。まず右手甲に蜂が飛び降りて、腕を伝って警戒心の有無を確かめる。蜂はぼくが完全に眠っていることを証明し、顔面に飛び乗る、左頬のあたり。顎の下に半壕のようなちょうどよい窪みがあって、蜂はそこに強力なフェロモンでマーキングし、巣をつくる合図を仲間に送る。いくつかの蜂はぼくの意識が醒めないように数ヵ所同時にぼくに毒針を差す。ぼくはたぶんアナフィラキシー・ショックで痙攣する間も無く死んで、死んだ先の無意識で怨念に魘され続ける。参謀者の復讐劇は完璧であった。彼らの指示で資材が運び込まれ、顎の下に美しい六角形の孔の巣が次々と作られる。女王様がやって来て、上棟式(おそらく)が行われた。ぼくの涙一粒にも満たないくらい少量の酒(おそらく)が四隅にかけられ、榊の葉(おそらく)でお祓い(おそらく)があった。東の空(おそらく)から日が昇る(おそらく)。
・・・しかしぼくのもとに日の光があたることは二度と無かった。
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家に帰ると、蜂の巣は見事に無くなっていた。おかしい、彼らは何処へ行ったのだろうか。すでに駆除されたのだろうか。その時ジェノサイドはあっただろうか。巣が無くなったということは、帰るべき場所を無くしたのだ。さて、きょうから浮浪者だ、と思った矢先、蝿叩きをもった誰かが静かに近づき、その鉄槌をぼくに振りかざした。